2015年1月30日金曜日

最後の教え


■オカンが病気にかかってから、特別な用事以外はお誘いも断って毎週末かかさず実家に帰って、家の用事とか洗濯とか掃除とかオカンの身の回りのことを手伝ってきた。平日も度々仕事を休んで帰った。まぁ、それは当たり前のことかもしれんが、俺がオカンにしてやれるせめてもの感謝だった。
週明け仕事があるからと、日曜の夜遅く実家から帰るときはかならず「ありがとう」と言って見送ってくれた。



■

病気のせいで骨がボロボロになり、激しい痛みに襲われて立ち上がることさえままならないのに、迷惑をかけないようにと人に頼ることなく自分で立ってトイレにいってたり、痛み止めの麻薬の効果が切れて全身が痛くて夜中に目が覚めて眠れないことがなんどもあったり。

ベッドから起き上がるのでさえ痛みで顔をしかめることもしばしばあったけど、「痛い」とか極力口に出さなかった。

ほとんどベッドの上で過ごすため、お腹がすかずほとんど食欲がわかない時でも薬飲まないといけないからと半ば無理にご飯を食べていたこともあった。

抗癌剤の副作用で吐き気で餌付いていたりするのに、「大丈夫・・・」といっていたり。


本当に本当に苦しそうだけど、生きることを諦めるような言葉は最期まで言わなかった。




■母の葬儀後、近所の挨拶回りをしていた。
「生前は色々とお世話になりました。ありがとうございました。」
と母が好きだった菓子折りをもって近所に配って回った。

そんな中で聞いた話。

近所のHさんはオカンが家の前や近所をよく掃除していた姿を目にしていたらしい。
オカンの姿を見かけなくなって心配に思ったHさんが
最後にオカンの様子を見に来てくれたときのこと。

オカンはこんなことをHさんに話していたらしい。

「8年前、主人が亡くなったときは本当に辛かったです。でも、周りの人の支えがありなんとかここまでやって来れました。その恩を返そうと、誰かのために何かできないかと思って、挨拶とか、近所の掃除とかもやってきたつもりだったんですが、この寝たきりの体では自分の家の前すら掃除できなくなってしまって、Hさんはキレイにしてるのに、ウチが汚くして申し訳ないです。こんな体になってしまって。
主人の病気(脳腫瘍)は難病で看病も大変でしたが
私も、こんな病気にかかってしまって周りの人にとても迷惑をかけている。
そう長くはいきられないでしょう。もう最後になるかもしれない。

ただ、今、最後、せめて私に出来ることは、子供たちに自分が病気と闘っている姿を見せることだけです。
最期に一生懸命 病気と闘う姿勢を見せることが 私に残された子供たちのためにできる最後の教えです。」

と。



そんなことは本人の口からは、全く聞かされていなかった。




この9か月間、オカンの様子を見てきた。

病気の進行で日に日に痩せて弱っていく姿を見てきた。

それでも人に気を配ることを忘れず、自分の力で頑張る姿を見てきた。

オカンがまだ体調のよかったとき、週末どこにも行かず病院に見舞いに来たり、実家に返ってくる俺に対してヒトコトこんなことを言ったことがあった。

「あんたホンマは何がしたいんや? 自分のやりたいことやりや。」


俺はずっと頑張って感謝を返しているつもりだったけど、返せるほどのことなんて何も出来やしなかった。

逆に今の俺の何倍も頑張って生きている姿を 
命をかけて教えてくれていた。

最期まで一生懸命に生きるということを。





その話を聞いた時、
これまでのいろんな出来事が一気に思い起こされて
葬儀からずっと我慢していた涙を、
こらえられずにはいられなかった。






有難う。おかん。

2012年5月25日金曜日

母の日

母の日

一年に一度、母の労をねぎらう日。

でも、感謝を贈るべき相手は もうこの世にはいない。

母の日の3日前に逝ってしまった。

享年59歳だった。



この世界で一番信頼していた人がいなくなった。

この世界で一番好きだった人が逝ってしまった。

愛する人を失うことほどつらいことはない。





2012年3月27日火曜日

4度目の入院


前回 3度目の退院から一月以上たった。

相変わらず足がしびれるらしい。

ベルケイド治療中に、腰の骨盤の右側にできた骨髄腫は骨から飛び出している。
この部分には昨年末ごろに30グレイくらいの放射線を当てたにもかかわらず、2月中旬の検査でほとんど小さくなっていないことが分かっている。

多発性骨髄腫は
状態がいい時は日常生活を送りながら通院で長期間の投薬治療を行うのが一般的らしい。
日常生活といっても、オカンのそれは寝たきりの一歩手前だ。
今はなんとか自力で歩いてトイレにいくことができる。といってもそれが精一杯。
椅子に座っていても長時間は辛いらしい。
トイレと食事以外はほとんどベッドに横たわっている。



■3月9日金曜日。
毎週金曜日はオカンの通院日で、この日は叔母(オカンの姉)がオカンに同行してくれていたそうだ。
あまりに体が痛いらしくレントゲンを取ってもらったら背骨が折れていたとのこと。



夜、叔母から電話を受ける。

叔母が先生から話を聴いてくれたらしく、内容は以下のようなことだった。
・最新の治療を行ってるが、骨髄腫の影響が抑えきれない。
・腕、足の付根、胸部、腰の骨盤、などほぼ全身の骨に骨髄腫の影が見られる。
放射線治療は被爆量に限度があり、全身広範囲には使えない
・場合によってはアミロイドーシス等、転移により他の臓器、特に心臓や脳にも影響を及ぼす可能性もある。
・いまはなんとか薬で症状が出ないように注意深く見ていくしかない。
とのこと。




■3月10・11日 土・日曜日

オカンがこの病気で最初に入院してから毎週末実家に帰ってる。
もう半年以上経っているんだな。



今週末は埼玉に嫁いだ妹が娘を連れて大阪まで帰って来てくれている。一週間程いてくれるそうだ。小さい子供がいると家の中がにぎやかになる。
女手があるとオカンもやっぱり助かるのだ。

つい先日まで、なんとか自力で立ち上がってトイレまで行けていたのが、
それもちょっと苦しくなってきているようだ。
ベッドから起き上がるだけでさえ、しかめ面をして痛みを耐えながらゆっくりと起き上がる。
肋骨まわりもさらに骨がもろくなっているのか、なんだか息をするのでさえ苦しそうだ。



■3月12日 月曜日

この日は仕事だが、昼休みに病院に連絡。
電話で病状について先生に話を聞こうとおもったが、電話では個人情報保護のこともあるので伝えられないとの事。なので直接病院にいくしか手段がない。
先生の都合と調整するとのことで一旦電話を切る

しばらくしてから病院から電話がかかってきた。
先生が空いてる時間を聞いたら今日の午後なら都合がいいとの事。
と、要件を聞いた後、
オカンが今診察が終わって入院するとのこと。

会社を早退して一路病院に。
病院に着くと妹が入院手続き中だった。

どうやら肺炎に罹ったらしい。

幸い肺炎は早期発見で軽度だというが。
咳をするととても痛そうに顔を歪める。
昨日は痛みで夜眠れなかったらしい。

入院のため、必要なものを持ってくるため実家にもどり荷物をまとめる。
もう4度目なのでだいたい勝手がわかっている。
つもりだったが、着替えや小物等々身の回り品について男では気が利かないところは
やっぱり女手があると準備が早い。妹が帰って来てくれていて助かった。


夕方
先生からIC(インフォームドコンセント)を受ける

フリーライトチェーン検査でκ鎖とλ鎖のバランスが悪くなっているとのこと。
ベルケイドでは不十分だったのでレナリドミドに変えたが、検査の数値から判断すると進行が抑えきれていないと見て取れる。
叔母から聞いた話を確認する。

先生からは出来る限り手を尽くしますとのこと。


話が終わり、病室に戻り
「肺炎は軽度で治るから早くて1週間かもう少しすれば退院できるって」
と言葉をかける


痛みに耐えながらやっとベッドに横になって、
「背骨の骨折はいつ治る?」
と、ベッドに横たわるだけで息を荒らげながらたずねてくる母。

「そっちは病気の影響やから」
とこたえると

「やっぱり長いことかかりそうかなぁ?」
と、涙を浮かべながらたずねてくる。

その涙は骨の痛みだけではないのだろう。


オカンの苦しそうな様子を見て
むせ返りそうになるのをこらえながら

「そやなぁ」

と、そんな返事しか返せない。
コレ以上話すと、言葉が詰まる。
冗談でも言えればいいが。
妹は何も言わず他所を向いて涙をこらえているようだった。

ベッドの横で姪っ子がつまらなそうにしているので相手をするふりをする。

「とりあえず、肺炎が治るまではしばらく辛抱や。」
「また来るわ。」
といって病室を去った。



■退院
3月22日木曜日。
仕事を休む。

オカンによれば先生に確認取れたので退院できるとのこと。

本当はオレの仕事が休みの土曜日に退院するつもりだったらしいが、
どうしても退院したかったらしい。

理由は夜眠れないから。

痛みで眠りから覚めてしまうため、よる寝る前に痛み止めに医療用麻薬を使っている。
さらに眠るために睡眠薬も服用している。しかしそれでも目が覚めるという。

同じ病室で新しく入院いてきた人が原因だそうな。
オカンは4人部屋の一般病室に入っているのだが、
新しく来たその人は老齢のため耳が不自由で話し声が必然的に大きくなってしまうらしい。夜中でも大きな声で話すそうで、せっかく眠りについたのにその人の話し声の大きさに夜中に起きてしまうらしい。

オカンを車に載せ家についた時、
「これでやっと夜寝れるわ」とヒトコト。

ただ、退院したものの、安心してできるほど元気ではない。
肺炎の痛みはとれたが、背骨が骨折しているため、また肋骨もかなりもろくなっているため
腰から胸のまで強力な補装具(コルセット)を巻きつけている。
なんとか自立できるといっても、足取りも弱くなってきている。



2012年2月1日水曜日

ベルケイド(ボルテゾミブ)から レブラミド(レナリドミド)へ

■2度目の入院
年末、左足が痛くなり、痛みに耐えかねて病院に行く。

MRIを撮ると左足の付根の骨盤に影が。
新たに腫瘍が見つかった。
コレが足の神経を圧迫しているらしく、足が痛むとのこと。

すぐに入院して、放射線治療も併用するとのこと。


それから2週間経過。

足の痛みは完全に取れることはなかった。

どうやらベルケイドではある程度効果は見られたものの、寛解するには不十分だったようだ。

年末になり、一時退院。
自宅で年を越すことができた。

年始からはベルケイドをやめてレブラミドに変更するとのこと。
その際、副作用等の様子をみるために入院しながら投薬するとのこと。


■正月になる。
6日からまた入院。
これで3度目の入院だ。

それから様子見の状態が続く。



足のしびれはとれていない。

途中、レブラミドではなく、他の薬が合わなかったのか、嘔吐を繰り返す。
食べられない。

レブラミドの作用ではないそうだが、調子が戻るまで入院。

3週間ほど入院して、月末にお腹の調子が戻ったので退院。

今に至る。

まだ新しくMRIをとっていないが、痛みはまだ収まっていない。

痛み止めの薬としてオキシコンチンをもらっている。

痛みが酷い時はレスキュー投薬でオプソってのもあった。


レブラミドは新しく血管を作らないようにする薬。サリドマイド系の薬だそうだ。
がん細胞が増えるのを抑える効果があるらしい。
頭皮の毛細血管にも影響があるのだろうか、その影響かどうかはわからないが、化学療法で抜け毛が多くなって少し困ってる。


2011年12月14日水曜日

再入院。

コレまでの経緯-------------


多発性骨髄腫のステージ分類でもっとも厳しいⅢBでした。
腎障害が出ていたことともあり透析もしなくてはならなかったので入院で治療してました。
入院時には歯がもうボロボロになってました。足の付け根辺りの骨もかなり密度が薄くMRIにしっかり写ってませんでした。足だけでなく、肋骨の先の方は溶けてなくなっているような感じだし、全体的に骨がもろくなっている状態でした。骨病変ってやつです。


8月末に入院して2ヶ月くらい入院してました。
治療方法はベルケイド投与 ステロイド等もつかってました。
はじめは腎障害のためベルケイドの分量は控えめに始めたそうです。腎臓の機能が回復してくると共にベルケイドの量も少しずつ定量に戻して行きました。


オカンの場合、ベンスジョーンズ型なので、血液検査だけでは良くなってるのかどうか分からなかったそうです。MRIでの観察と、骨髄を直接取り出して観察する方法で治療の効果をはかっていました。

ベルケイドよく効いているみたいでした。


でも、この病気にかかってからか味覚障害が出ているようでした。
何を食べても今までの味と違うらしいです。
入院初期は全てのものが塩辛く感じたそうです。
その後薬を服用するためか何を食べても甘く感じるようになってしまいました。
退院してから普段の食事をつづけてますが、おいしいスイーツも甘さがへんらしいです。
それから塩分が薄いように感じるそうです。

介護認定を受けてヘルパーさんに食事を作りに来てもらってますが、この病気に掛かる前よりも
味に対して厳しくなってました。
でもおいしいものはおいしいと感じるようになってきているみたいです。

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また最近になって足がしびれ痛みが出たため昨日再入院しました。
前は右足の付け根がやばかったのですが、今回は何故か左足がいたかったみたいで、
左足にできものが見つかったそうでうす。骨髄腫の影響なのでしょうか?まだ詳しいことは聞いてません。今度は放射線治療を集中的に受けるようです。
放射線を当てるにも限度があるので退院までに2週間くらいかかるそうで。

年末は退院して実家で年を越せますように。

2011年9月6日火曜日

がんばろう

病気にかかってから

なんで私がこんな病気にかからなければならないの?
なんで神様?

とか言ってる人がいるが、
誰しも病気なんてかかりたくてかかってるわけじゃない。

特にガンは誰でも成り得るし、原因も特定されない場合が多い。


癌になってしまったこと

それは仕方のないことだろう。

ただ、その後、その人がもう少し生きたいと思うなら
闘病するしかない。


幸いうちのオカンは闘病に意欲的である。


まずはMP療法から
Mはメルファラン Pはプレドニゾロンの頭文字
メルファランは抗がん剤。プレドニゾロンはステロイド。
腎障害が出ているので人工透析も並行して受けている。

かなり大変そうだ。
抗癌剤を投与するとその日は、嘔吐ばかりでかなり苦しがっている。
最初は発熱もあった。

今1クールが終わり、次に2クールに入るらしい。

MP療法が終われば次はベルケイドを使うらしい。


薬に関する詳しいことはこれからも情報を集めていこうと思う。


追記。
MP療法は合わなかったので、すぐにやめて、ベルケイドに変えてたそうです。
その後2ヶ月ほどかかりましたが退院することが出来ました。
それから週一回の通院にかわりました。